アンドリュー・カーネギー 『富の福音』 お薦めポイント
この『富の福音』(田中孝顕監訳)は、アンドリュー・カーネギーが、実業家(鉄鋼王)として成功し、「第一線を退こう」と決意したころ(65歳頃)に、「事業の成功について、自分なりの考えをまとめ、富の創出の方法を、あとに続く人たちに教えたい」と考え、1901年に出版した書籍で、原書は「The Gospel of wealth and other timely essays」である。
『富の福音』は、富の築き方から富の使い方まで、カーネギー氏自らの信念や考え方を現した書籍です。
本書では、さらに経営者の高額報酬や競争社会、格差社会、平等主義、労働問題など、多岐にわたってカーネギー氏の見解が述べられている。
鉄鋼王として事業に成功し、大富豪となったカーネギー氏のその確信に満ちた考え方には、説得力がある。
まず、実業家への道を目指したのは、、“貧困からの脱出”がきっかけであった。カーネギー少年時代の人生最初の教訓は、「貧困という狼を、いつか家から追い出してやる」であった。
カーネギー氏は、「私は何をしたいか?」ではなく「自分のできる仕事は何か?」から出発している。そしてこれが、カーネギー少年時代の人生最初の指針であった。
これは、非常に大事な考え方であり、「自分のできる仕事は何か」の問いから始めるのが事業成功の基本ではないだろうか。
そして、カーネギー氏は、何回も転職しているが、職場では常に勤勉に働き、機転を利かせ、次々とチャンスを掴み取って成功を重ねていっている。この時期、大切にしていたことは「勉強の時間をとる」ことや「プラスアルファの努力」であった。
カーネギー氏は、「勤勉や克己心は人類の文明を発展させる原動力だと説き、能力の差についても社会を動かす原動力になっていると説きつつ、競争社会から生まれる貧富の差や、不平等は歓迎すべきとし、それは社会が進歩する必要条件だ」と断言している。
まさに、“自助努力”の大切さと共に“努力した人が報われる社会”を良しとする考えに共感を持てます。
競争社会について、渋沢栄一氏も、「競争を否定し、競争なき環境のなかにいると、国家も個人も成長できない」と述べている。
そして、今話題の経営者の高額報酬や競争社会、格差社会について、それぞれ肯定的な見解を述べている。
また、平等については…「平等という美名のもとに貧困を追放しようということだけなら、それは正直、勤勉、克己心など、人間社会の美徳を生み出す基盤を根底から破壊することになりかねない」といって、安易な平等社会には異を唱えている。
カーネギー氏が力説している点は、「富に対する考え方」と、「富の使い方」である。
「富に対する考え方」として、能力を持った者が富を蓄積したことで、人類に利益を与えたことはあっても、害を与えたということはない。また、富が増えることは人類にとって大きな幸福であり、富が増えれば社会のすべての階級が、みなその分配にあずかることができる、と述べている。
現実に、同じく大富豪であったロックフェラーと共にアメリカの国力を高め、第二次世界大戦において継戦能力を維持することができたことは否定できない。
「富の使い方」については、富の運用は、その富を蓄積した者が、もっとも多くの経験と知識を持っており、もっとも多くの結果をそこから引出すことができるとして、自らが蓄積した富の使っていく方がもっとも効果的であると述べている。
特に、慈善に対する考えが富豪らしい見解である。
「慈善を行い、人に何かを与える人がまず考えなければならないのは、助けるべき人は、自分自身で努力している人に限るということである。」
そして、慈善を行うということは責任を伴う行為である。慈善を行う者はその行為によって、援助を受けた者を結果的に堕落させないように注意しなければならないという、与える者の義務であろう。
イタリアの諺に「地獄への道は、善意で舗装されている」というものがありますが、善意による安易な道(舗装された道)は、本人を堕落させ地獄行きだということ。
善意はあくまで本人の努力をに対して、援助するものでなければならない。すべてを与えてはならない。
これらのことは、スタンダードオイル創立者で大富豪のジョン・ロックフェラーも同じように述べている。
これは富豪にしか言えない言葉であろう。
本書は、100年経った今でも色あせず、非常に参考になる書籍だと思います。
皆さまも、座右の書の一つに加えてみてはいかがでしょうか。
私が選んだ「アンドリュー・カーネギーの名言」
「家族や社会のために役立っているのだ」という自覚ほど少年を大人にするものはない。
社会に貧富の差があるということは、社会が進歩する必要条件だと言ってよい。
競争があるということは、社会のあらゆる面で適者が生存し、不適者が姿を消していくということである。
巨額の富を子孫のために残そうということは、結果からみれば愚行としか言えない。
富を運用することは、富める者の権利であるとともに責任でもある。
富を持って死ぬ者は、真に不名誉である。
行き過ぎた慈善や社会保障が国の活力を奪う。
富を蓄積し、これを増やしていくことは富豪の義務である。
他人の自由を否定する者は、その自由をわがものとする資格がない。