松下電器(現 パナソニック)の経営理念

松下電器と言えば松下幸之助。

 

松下幸之助は、経営理念は「正しい経営理念」であることが必要であり、この「正しい経営理念」は、「正しい人生観」に深く根ざし、この人生観は真理にかなったものでなければならないとした。

 

従って、松下電器の経営理念は、正しい人生観、社会観、世界観に深く根ざし、普遍性の高い理念であり、会社永続のために設定されている。

 

こうした中から、人々の生活文化の向上を願う「水道哲学」「雨が降れば傘をさす」といった天地自然の理法に従って仕事をする「経営のコツ」が生まれてくる。

 

松下幸之助は、会社の存在理由、経営目的、経営方法に関する「正しい経営理念」が根底にあってこそ、事業経営において大事な技術力、販売力、資金力、そして人がはじめて生かされてくると主張している。

 

そして、幸之助はこの経営理念を毎朝の集会で社員に大声で唱和するよう命じた。

 

しかし、「破壊と創造」というスローガンを掲げ、“松下幸之助創業者の経営理念以外はタブーなし”として経営改革を断行した当時社長の中村邦夫は、松下幸之助が「正しい経営理念」のベースとして最も重要視していた「正しい人間観」が分からなかったという。

 

これは、松下幸之助が生前に折に触れて語っていた「松下電器は何をつくっているところかと尋ねられたら、“松下電器は人をつくるところでございます、併せて、電気器具もつくっております”、こうお答えしなさい」の真意、即ち、創業者の思いや価値観が理解できていなかったということである。

 

もうひとつ、“雨が降ったら傘をさす”というような天地自然の理(真理)に順応した「経営のコツ」も掴めなかったようである。(中村邦夫述「これからのリーダーに知ってほしいこと」より)

 

何を言いたいか・・・・・
中村邦夫は、“経営理念以外はタブーなし”といって大改革に取り組んだが、肝心の経営理念を真に理解せず、経営理念を中心とした経営、即ち「理念経営」を理解せずに改革したため松下電器を破壊してしまった。

 

「綱 領」

産業人たるの本分に徹し、

社会生活の改善と向上を図り、

世界文化の進展に寄与せんことを期す

 

「松下電器の遵守すべき精神」

産業報国の精神

品質の高い製品とサービスを適正な価格で提供することによって、社会全体の富と幸福に寄与すること。

公明正大の精神

取引においても個人の振る舞いにおいても公正と誠実を旨とし、常に先入観のない公平な判断を涵養すること。

和親一致の精神

相互信頼と個人の自由性を尊重したうえで、共通の目的を実現するための能力と決断力を字擁すること。

力闘向上の精神

いかなる逆境にあっても企業と個人の能力を向上させ、永続的な平和と繁栄を実現する企業の使命を達成すべく努力すること。

礼節謙譲の精神

常に礼儀正しく謙虚であることを心がけ、他人の権利と要求を尊重することによって、環境を豊かにし、社会秩序を守ること。

順応同化の精神

自然の摂理に従い、常に変転する環境条件に合わせて思想と行動を律することによって、あらゆる努力において、徐々に、しかし着実な進歩と成功を収めること。

感謝報恩の精神

受けた恵みや親切には永遠の感謝の気持ちを持ち続け、安らかに喜びと活力をもって暮らし、真の幸福の追求の過程で出会ういかなる困難も克服すること。

 

これらの経営基本方針や指針などは、現パナソニックでも引き継がれているが…。

ソニーの経営理念

ソニーといえば井深大と盛田昭夫です。

 

ソニーは1946.5.7 七人の社員と資本金19万円でソニー(1958年社名変更)の前身である「東京通信工業株式会社」をスタートした。
当時、創業者の一人である井深大が「設立趣意書」を起草した。
設立趣意書の一番目に

真面目なる技術者の技能を高度に発揮せしむべき

自由豁達にして愉快なる理想工場の建設

 

とある。
そこには終戦からわずか半年後という荒廃の中、希望の光すら見いだせなかった時代に、高く大きな志と、技術者たちの能力を存分に発揮させたいという強い想いを込めて記したことが伺える。

 

井深のものづくりには、常に「常識を打ち破れ」という発想がある。
常識と非常識がぶつかったときに、イノベーションが生まれる。録音機能のないステレオカセットプレーヤー・ウォークマンの誕生の裏にもこの“非常識さ”があった。
常識と非常識のぶつかり合い、そこでの発想が商品開発のいろいろなところで芽を出したといえる。(井深精神継承研究会「天衣無縫の創造家-井深大語録」より)

 

【会社創立の目的】

一、真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる
  理想工場の建設
一、日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動
一、戦時中、各方面に非常に進歩したる技術の国民生活内への即事応用
一、諸大学、研究所等の研究成果のうち、最も国民生活に応用価値を有する
  優秀なるものの迅速なる製品、商品化
一、無線通信機類の日常生活への浸透化、並びに家庭電化の促進
一、戦災通信網の復旧作業に対する積極的参加、並びに必要なる技術の提供
一、新時代にふさわしき優秀ラヂオセットの製作・普及、並びにラヂオサービスの
  徹底化
一、国民科学知識の実際的啓蒙活動

 

【経営方針】

一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、
  いたずらに規模の大を追わず
一、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために
  進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する
一、極力製品の選択に努め、技術上の困難はむしろこれを歓迎、量の多少に関せず
  最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とす
  また、単に電気、機械等の形式的分類は避け、その両者を統合せるがごとき、
  他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う
一、技術界・業界に多くの知己(ちき)関係と、絶大なる信用を有するわが社の
  特長を最高度に活用
  以(もっ)て大資本に充分匹敵するに足る生産活動、販路の開拓、資材の獲得
  等を相互扶助的に行う
一、従来の下請工場を独立自主的経営の方向へ指導・育成し、相互扶助の陣営の
  拡大強化を図る
一、従業員は厳選されたる、かなり小員数をもって構成し、形式的職階制を避け、
  一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限に発揮せしむ
一、会社の余剰利益は、適切なる方法をもって全従業員に配分、また生活安定の
  道も実質的面より充分考慮・援助し、会社の仕事すなわち自己の仕事の観念を
  徹底せしむ

 

井深が趣意書を起草してから四十年後、盛田昭夫は、ソニーの理念を凝縮し、次のような洗練させた「ソニー・スピリッツ」をつくった。

  1. 人がやらないことをやる
  2. やりたいやつにやらせる
  3. 言い出しっぺがやる
  4. 若いやつにチャンスを与える
  5. 可能性に挑戦する

しかしながら、出井伸之、ハワード・ストリンガーでソニーを弱体化させたと筆者は見ている。なぜなら、出井伸之はどちらかというと技術者軽視、ストリンガーはソニーらしさの放棄ともいえる財務優先の大リストラを実施し、共に多くの優秀な技術者を放出してしまった。

 

ソニーが上記に掲げた素晴らしい創業者精神を取り戻す時代はいつか?

トヨタ自動車の経営理念

トヨタ自動車といえば、豊田佐吉や豊田喜一郎ですね。豊田佐吉、喜一郎の基本的な考え方は“自助論”。豊田佐吉は、基本的に「トヨタが自助努力の精神を失ったら終わりだ」と語っている。

 

そして、創業者豊田喜一郎の「日本人の頭と腕で自動車を造る」という理想の下、自動車製造を開始した。同時に、「モノづくりは人づくり」の考えに基づき、トヨタ工業学園を設立し、自動車製造に携わる技能者の育成を開始した。

 

トヨタ自動車では、昭和10年(1935年)に定めた「豊田綱領」がある。この「豊田綱領」は、豊田佐吉の考え方を、豊田利三郎、豊田喜一郎が中心となって整理、成文化したものである。(トヨタ自動車75年史)

 

この「豊田綱領」は、トヨタグループ各社に受け継がれ、全従業員の行動指針としての役割を果たしている。

 

豊田綱領

一、上下一致至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし
一、研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし
一、華美を戒め質実剛健たるべし
一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし
一、神仏を尊崇し報恩感謝の生活を為すべし

 

今でも十分に通用する理念(綱領)ですが、トヨタ自動車は、時代に対応すべく、平成4年(1992年)に新たに「基本理念」を制定した。

 

基本理念

  1. 内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす
  2. 各国、各地域の文化・慣習を尊重し、地域に根ざした企業活動を通じて、経済・社会の発展に貢献する
  3. クリーンで安全な商品の提供を使命とし、あらゆる企業活動を通じて、住みよい地球と豊かな社会づくりに取り組む
  4. 様々な分野での最先端技術の研究と開発に努め、世界中のお客様のご要望にお応えする魅力あふれる商品・サービスを提供する
  5. 労使相互信頼・責任を基本に、個人の創造力とチームワークの強みを最大限に高める企業風土をつくる
  6. グローバルで革新的な経営により、社会との調和ある成長をめざす
  7. 開かれた取引関係を基本に、互いに研究と創造に努め、長期安定的な成長と共存共栄を実現する

 

トヨタ自動車は、時代の変遷、時代の転換点を経営理念に反映させている。
ただ、「豊田綱領」は、常に思想的原点であることは間違いないであろう。

京セラの経営理念

京セラといえば、稲盛和夫。創業当初は、自分の技術を世に問う場としての位置づけだったそうですが、途中から社員とその家族を守ることや社員が自主的に働くためには大義名分が必要だと気付き、経営理念を掲げたところ社員の心がまとまり、これまでにないパワーが発揮され、業績が急速に伸びたという。

 

稲盛さんが掲げる経営理念には、「人間として正しいかどうか」という哲学が盛り込まれている。「正しさ」というのは、より高次な存在を認めないかぎり生まれてこない。

 

京セラの経営にあたり、経営については未経験であり、うまく経営するにはどうすれば良いかと考え抜いた挙句、たどり着いた答えとして、とにかく人間として正しいことを正しいままに貫いていこうと心に決め、「嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかり考えてはならない」など、子供のころ、親や先生から教わった単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準とした、と稲盛さんが語っている。(稲盛和夫著「生き方」より)

 

「社 是」

“敬天愛人”

常に公明正大 謙虚な心で 仕事にあたり

天を敬い 人を愛し 仕事を愛し

会社を愛し 国を愛する心

 

「経営理念」

全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、

人類、社会の進歩発展に貢献すること。

 

まさに、稲盛和夫の生き方そのものが表現されている。

 

稲盛経営12カ条

  1. 事業の目的、意義を明確にする

    公明正大で大義名分のある高い目的を立てる。

  2. 具体的な目標を立てる

    立てた目標は常に社員と共有する。

  3. 強烈な願望を心に抱く

    潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと。

  4. 誰にも負けない努力をする

    地味な仕事を一歩一歩堅実に、弛まぬ努力を続ける。

  5. 売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える

    入るを量って、出ずるを制する。利益を追うのではない。
    利益は後からついてくる。

  6. 値決めは経営

    値決めはトップの仕事。お客様も喜び、自分も儲かるポイントは一点である。

  7. 経営は強い意志で決まる

    経営には岩をもうがつ強い意志が必要。

  8. 燃える闘魂

    経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要。

  9. 勇気をもって事に当たる

    卑怯な振る舞いがあってはならない。

  10. 常に創造的な仕事をする

    今日よりは明日、明日よりは明後日と、常に改良改善を絶え間なく続ける。
    創意工夫を重ねる。

  11. 思いやりの心で誠実に

    商いには相手がある。相手を含めて、ハッピーであること。皆が喜ぶこと。

  12. 常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で

YKK APの経営理念

YKKの創業者吉田忠雄は、事業を進めるにあたり、下記の点について最大の関心を払い、お互いに繁栄する道を考えたという。

 

企業は社会の重要な構成員であり、「共存」してこそ存続でき、その利点を分かち合うことにより社会から存在価値が認められるものです。それは事業活動の中で発明や創意工夫をこらし、常に新しい価値を創造することによって、事業の発展を図り、それがお得意様、お取引先の繁栄につながり社会貢献できるという考え方です。

 

このような考え方を吉田忠雄は『善の巡環』と称し、常に事業活動の基本としてきた。YKK AP社員はこの考え方を受け継ぎ、YKK精神としています。

 

経営理念

「更なるCORPORATE VALUEを求めて」

YKK_AP

『更なるCORPORATE VALUEを求めて』は、YKK精神をグローバルに通じるものへと具体化し、経営の使命・方向・主張を表現した理念です。「公正」を中心とし、コーポレートバリュー(企業価値)として、7つの分野に新たなクオリティ(質)を追求します。左の輪にはYKK APが利益をもたらしたい3つのステークホルダー「社員」「お客様」「社会」、右の輪にはYKK APが価値をもたらすための手段「商品」「技術」「経営」を据えています。すべてがつながりながら価値を生み出していくとき、YKK APの更なるバリューが発揮されます

 

「善の循環」について、基本的に「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という考え。これは、アンドリュー・カーネギーの「他人の利益を図らなかったら自らは栄えない」という言葉に吉田忠雄が感動し感化されたからだと言われている。そしてこの「善の循環」の考え方で、1973年(昭和46年)のオイルショックを見事に切り抜けた。