成功体験を重ねると人を頑固にさせる

人は、成功体験を重ねることによって頑固になってくる。

 

この様子を、塩野七生著作「ローマ人の物語」から紹介させて頂きます。

 

時代は、第二次ポエニ戦役後期(紀元前205年~201年)。

 

当時のローマは、少数指導の寡頭政を採用する共和国であった。

 

共和制ローマの最高官職であり軍隊の最高司令官でもある執政官は二人で、市民集会で選出される。

 

その執政官の任地は建前上抽選で決めることになっていたが、実際は執政官二人を含む元老院で決めていた。

 

当時、若いスピキオベテランのファビウスの二人が執政官となっていた。

 

スピキオは、元老院に自らの任地を敵地カルタゴがある北アフリカにしてくれるよう求めた。対戦相手であるカルタゴの武将ハンニバルがイタリアに居座っているにもかかわらずである。

 

これは、対ハンニバル戦争の路線変更という重大事であった。

 

それに対して、もう一人の執政官であるファビウスが断固として反対した。

 

スピキオの任務は、イタリアに居座り続けるハンニバルを打つことである。アフリカに行くことではない。北アフリカを攻めれば、ハンニバルもイタリアを去るというが、その保証はどこにもない」というのがその理由であった。

 

昔の遠征失敗という苦い経験があり、保守的な考えでの反論であった。

 

スピキオはそれに対して、
これまで成功してきたことも、必要となれば変えなければならない。私は、今その時と考える。これまでは、カルタゴがローマに戦いをしてきたが、これからはローマがカルタゴに戦いをする。ハンニバルがイタリアでやってきたことと同じことを、ローマ人がアフリカでやるのです。敵の本拠地を突くのがいかに有効であったかはハンニバルが実証してくれたことでもある」と反論した。
そして、「私はハンニバルと対決するでしょう。それは、私が彼を引きずり出した戦場で行われる。そしてそれに勝っての褒賞はカルタゴそのものだ」と付け加えた。

 

元老院の空気は一変したのではないが、これで相当に変わった。ファビウスと考えを共にする人々とスキピオに同感する議員の数が、半々になっただけである。

 

この元老院の二分は、貴族対平民の二分ではなかった。
ファビウスもスピキオも、ローマきっての名門貴族である。

 

元老院の二分は、出身階級によるのではなく、年齢によるものだった。
高齢者たちはファビウスへの支持を続け、若い議員たちが、スキピオの考えに同意したのである。

 

高齢者だから、頑固なのではない。
並の人ならば肉体の衰えが精神の動脈硬化現象に繋がるかもしれないが、優れた業績をあげた高齢者に現れる頑固さは違う。
それは、優れた業績をあげたことによって、彼らが成功者になったことによる。

 

年齢が、頑固にするのではない。成功が頑固にする。
そして、成功者であるがゆえの頑固さは、状況が変化を必要とするようになっても、成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。ゆえに、抜本的な改革は、優れた才能は持ちながらも、過去の成功には加担しなかった者によってしか成されない。しばしばそれが若い世代によって成し遂げられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。

 

昨今の厳しい経済環境化下では、過去の成功は、これからの成功を約束するものでもなく、また、過去の失敗が、これからも失敗に繋がるかどうか分からない。

 

しかし、今経済界から退場させられている企業は、過去の成功にしがみついて、環境変化に対応できない企業であるともいえる。

 

今まさに、新たな創造のための破壊が起きている。

 

従来のやり方を捨て、イノベーションしていく必要がある。