企業とは何か

企業とは、デジタル大辞泉によれば、下記の通り定義されている。
「企業とは、営利を目的として、継続的に生産・販売・サービスなどの経済活動を営む組織体である。」

 

また、以下のような定義もある。

  • 企業とは、その構成要素である資源(ヒト・モノ・カネ・情報)の総計以上の価値を生み出す存在である。
  • 企業とは、経済的機能をもつ社会的組織である。その組織の構造は、一人ひとりの人間から構成される人間組織である。

これらのことから次のようなことが言える。

  • 価値を生み出す経済活動という観点から、“企業は経済的繁栄をもたらすもの”であり
  • 人間組織という観点から、“企業は人材活用の場”であり
  • 従業員一人ひとりの観点から、“企業は自己実現の場”でもある

それでは、「企業の目的」は何か?
一般に「企業の目的」は何かと聞かれると、(デジタル大辞泉による企業の定義にあるように)企業は“営利を目的”に活動しているので、“企業の目的は利益の最大化である”と答える経営者や経済学者が多い。

 

しかし、これは間違いである!!
この間違いのために、すなわち利益を追求するあまり、不祥事を起こす企業が多く、絶えないのもこの考えが一般化しているためである。

 

民間企業なのだから、「利益を追求して何が悪い」という声が聞こえてきそうであるが、ドラッカー氏は、こう述べている。
利益は、企業の目的ではなく条件である。
利益は、企業存続のためのコストである。
企業の本来の目的は、「顧客の創造」である。
また、企業の存在理由とは、商品とサービスの提供にある。
そして、経済的な成果をあげるために企業は存在する。

 

現代の社会構造は,、ドラッカーがいう組織社会であり、組織で成果(価値)を生み出す時代である。個人においても組織を通じなければ大きな成果をあげることはできない。
個人一人では大きな成果をあげることはできない。どんなに素晴らしい絵画や作詞・作曲であっても組織を媒介しなければ世に出せない。

 

最近はやりのSNSやYoutubeでも、そのアプリをつくり、運営している組織がある。

 

何を言いたいかというと、企業(組織)こそが社会の中で唯一経済的な価値を創造できる存在だということだ。そして、その価値が富に代わり、富を生み出すことができる。ということは、社会の発展の担い手および原動力は唯一、「企業」であるということである。

 

企業はこのような社会的使命を負っている。
経営者はこのような使命を背負って経営しなければならない。大きな気概をもって、使命感をもって、企業は黒字を出し、社会や国家の発展・繁栄に貢献しつつ、前に進まなければならない。

 

企業経営者は、企業というのはそれだけの“公的な存在”なんだということを強く思って頂きたい。単に、「儲けたいためだけに会社を興した」、「親から受け継いだだけだ」など、色々な事情で経営者となった方はいると思いますが、本サイトを訪れた方は考えを改めてほしい。

社会や国家を繁栄に導く 企業の使命

企業の使命は前にも述べたが、ズバリ“社会や国家を経済的繁栄に導くこと”である。
しかしながら、単に自分や家族そして従業員が食べていけて、多少は贅沢できれば良しとしている経営者、あるいは私欲や名誉・名声のためとする経営者はあまりにも多い。

 

しかし、これではあまりにも志(こころざし)が低いと言わざるを得ません。
経営者たる者、正しい経営を目指すとともに、公(おおやけ)に奉仕する気概・精神を持たなければならない。

 

起業するからには、(たとえ今は小さくとも)志を高く掲げ、国家を養うくらいの気概がほしい!!

 

アメリカが先の大戦で勝利したのも、アンドリュー・カーネギーやジョン・ロックフェラーなどの大富豪が創った企業群があったからこそです。軍事だけでは勝てない。兵站部分としての経済的な繁栄が背景にあったからこそ、強力な継戦能力が保持され、勝利に導けたのだと思う。

 

超大国(superpower)とは、世界全体に対して、政治的にも経済的にも大きな影響力を及ぼす国家である。

 

経済的繁栄は、国を強くする基盤の一つです。国富の増大あってこその国の発展である。戦争のためではなく、社会や国家を繁栄させることによって、さまざまな国々を貧困から救うことができる。

 

従って、企業の赤字は許されません。
赤字では、救済される側になってしまいます。
それでは、企業としての存在価値はありません。

 

しかるに、税金を払いたくないために、節税に走ったり、赤字にしたりする経営者も多いと聞く。全く情けない話である。経営者は、払うものは払って社会貢献すると同時に内部留保(ダム経営)に励んで頂きたい。

 

企業の目的について、ドラッカーは「顧客の創造」とは別に次のように述べている。

  • 第一に、経済的成果、即ち市場に商品やサービスを提供し、利益を上げること。
  • 第二に、非経済的成果として、従業員の幸福や地域社会や国家への貢献がある。

まず、何といっても企業は企業継続のためにも利益を出さなければいけません。
しかし、それだけではダメです。
社会や国家への貢献をしなければならないのです。
これは企業としての義務です。
企業規模の大小は関係ありません。
企業には、公的な使命があります。

松下幸之助の「真使命宣言」

松下幸之助は、起業して15年目の1932年に、天理教の総本山を訪ねた時の信者のボランティア活動を見て、「どうしたらこのように嬉々としてかつ無償で活動できるのか」と深く考えた。そして、産業人としての使命に目覚め、次のような「真使命宣言」を行った。

産業人の使命は、貧困の克服にある。

社会全体を貧しさから救って、富をもたらすことにある。

 

明治期などでは“国力を高める”、“国家の繁栄”のためといった産業人は多かったと思います。戦後についても、大経営者は皆共通の志を持っていた。前出の松下幸之助をはじめ、本田宗一郎、豊田佐吉、井深大など“日本再建”という志を持っていた。

 

営利企業に、公的使命があると最初に唱えたのはドラッカーです。
社会に価値を提供し、利益を出して黒字化し、
税金を払うことで国家への義務を果たす。

これは最低限の使命です。

 

企業がある一定以上大きくなると公器性が生まれてきます。
お客様や従業員だけではなく、地域社会や国家の繁栄に対して責任を持つということです。このように、企業の使命感や公器性が発揮されると市場の信頼に繋がり、その企業の成長の要因となっていきます。

 

企業が公的使命を果たさず、また公器性があると思われている企業が不祥事を起こせば、国民の不信を買い、規制が厳しくなり、チェックのための組織が生まれます。
これが、大きな政府に結び付き、国家社会主義に向かう道となってしまいます。
今の日本のように…。

 

これではいけない!

 

公器性を持った健全化した企業群が数多く生まれてくると、国民からの信頼を得ることができ、民間企業が国家の事業の一部を肩代わり(民営化)できるようになってきます。

 

こうして、現在、国家がやっている仕事のほとんどを民間企業に任せることができるようになれば、自然と規制は緩和され(*)小さな政府に繋がっていきます。
小さな政府は、安い税金で運営でき、財政も健全化していきます。

 

(*) この場合の規制の緩和とは、IR等に代表される欲望を増大させる規制緩和や白タク容認や外国人の政治参加、土地所有などの規制緩和ではなく、企業の自由な活動を抑制している規制の緩和をいう。

営利企業が国家を救う

先ほど述べたように、繁栄した国家を創るためには、かつてアメリカの大富豪が築き上げたような企業群が出てこなければなりません。

 

こういった企業群が国家を救い世界を救っていきます。

 

今、ヨーロッパ全体が(移民問題を除けば)左傾化しています。日本もバラマキ政策などにより大きな政府、国家社会主義になってきています。
アメリカも自国内の問題で精一杯の状況になりつつあります。

 

ドラッカー氏は、「現代の経営」(上)で次のように述べています。
「ヨーロッパが経済的な繁栄を回復するか否かはマネジメントの仕事ぶりにかかっている。かつての植民地が、民主主義国家として経済発展に成功するか否か、あるいは共産主義国家となるか否かも、責任感に富む有能なマネジネントを早急に育成することにかかっている。実際、自由世界全体の行方がマネジメントの能力と責任に大きく依存している」

 

ここでドラッカーが言いたいことは、経済的繁栄をもたらすのは政府ではなく、営利企業であり、その企業を経営する経営者の責任感と能力であるということです。

 

しかるに、約380万社強ある日本の企業の約65%が赤字経営だという(2021年度)。
それぞれに事情はあるとはいえ、これでは企業として公的使命を果たしているとは到底言えない。

 

多くの経営者に責任感、使命感を持って頂きたい。智慧と汗を振り絞って経営にあたって頂きたい。
たとえどんな小さな事業であろうと、どんな規模の企業であろうと、使命感、「この会社、あるいは私の会社、私の事業で、これを通して世のため人のため、天下国家のために、一体何ができるか」ということを、常々考えて企業の舵取りをして頂きたい。

 

ここで一つ事例をあげて注意喚起を促したい。
日本の大企業の多くが、自社の利益確保のために中国に工場を移した。その結果どうなったか、中国共産党一党独裁覇権主義国家を超大国に押し上げてしまった。その間、中国の軍事力が急速に増強されいまや世界の脅威になっている。これは日本の国益にとって“善”か“悪”か?

 

また、中国共産党によるウィグル自治区、チベット自治区、内モンゴル自治区での人権弾圧。これは許されるものではない。これに間接的に加担している日本企業も多いと聞く。また、政治的発言をしないと言い出す企業経営者もいる。事は人権問題である。

 

自社さえよければ良い。政治と経済は別という考えがはびこっている。都合のいい言い訳になっている。国や人権は犠牲になってもよいのか。
これは、経営者としての責任が問われると思います。
それに対して、会社を犠牲にしてでも国益を守ろうとした(百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」のモデル)出光興産創業者の出光佐三氏は立派だと思います。

 

このように、企業の公的使命は大きく、経営者の責任と使命もまた大きい。