世紀の大富豪で石油王 ジョン・D・ロックフェラー

ロックフェラー

ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr、1839年7月8日-1937年5月23日)は、アメリカの実業家、慈善家。
スタンダード・オイルを創業し、同社は石油市場を独占し、アメリカ初のトラストを結成した。1870年にスタンダード・オイルを創業したロックフェラーは、積極的な経営を行い、1897年には事実上引退した。

 

アメリカの繁栄の源流は、二人。一人はジョン・ロックフェラーで、「スタンダード・オイル」の創業者。もう一人は、「鉄鋼王」といわれたアンドリュー・カーネギー。

 

二十世紀のアメリカの巨大な繁栄を築き、アメリカを世界一の国にしていったもとにいるのは、この二人ではないでしょうか。
それ以外にも、偉い実業家はたくさんいますが、経済的繁栄の「元祖」にあたるのは、この二人ではないかと思います。

 

経済的繁栄は、国を強くする基盤の一つでもあります。

 

ロックフェラーは、アメリカで、石油ラッシュでにぎわっていた時代(1860年代)に、ロックフェラーは石油業界に参入。ただ、石油発掘で一旦大金持ちになったとしても、二発、三発と油田を当てることは簡単ではなかったと思われます。そこでロックフェラーは、石油の発掘ではなく、石油の精製と輸送に着目して事業を拡大していった。ここが、事業成功のポイントであろうと思われる。

 

まず、ロックフェラーは、大を成すためには「アイデアを形に表して、それを独自に成長させていくことが大事」だといっています。

 

そして、ロックフェラーは、事業拡大に際して、多くの同業社を買収して事業を拡大していった。当時、市場のほぼ9割を押さえるに至っていた。そのため、多くの批判を浴びることになった。(1911年、米国最高裁より分社命令判決)

 

ロックフェラーの基本的考え方は、次のようなものであった。
資本主義の“基本中の基本”だが、事業で大きな成功を収めるためには「富の集中」「富の集積」が絶対に必要である。

 

一般的に、富を集中させる過程で、批判がいっぱい起きてくる。嫉妬に近い批判が。「金を集めたこと自体が悪い」というような批判が出てきます。

 

しかし、現実には、この批判を乗り越え、「富の集中」が行われなければ、大きな事業はできません。日本でいうところの、トヨタもそうだろう。その集中した富を投下することによって、中小企業にはできない、大きな事業ができるようになってきます。

 

ロックフェラーは、途中で『社会的還元』ということを、人々の目に見えるかたちでやらないかぎり、もし、心のなかで思っていることが善なるものであったとしても、なかなか許してはもらえない。目に見えるかたちにしなければならないと感じて、富を社会に還元することを思いついた。

 

そういう批判が出ることは、成功していることの証明の一つであろう。しかし、富の蓄積過程で「その批判を、どのようにかいくぐり、成功を続けていくか」ということは、非常に大事である。

 

自分たちが「富の集積」に成功し、「事業の拡大」に成功していると同時に、それに釣り合うだけの社会貢献をしなくてはならない。これは、富豪の使命の一つでもあろう。

 

その後、シカゴ大学の創立やロックフェラー医学研究所、ロックフェラー大学創立に莫大な金額の寄進を行った。
そして、ロックフェラー74歳で、ロックフェラー財団の創立に踏み切った。

 

ただ、事業家に対しては厳しい目をもっていた。
例えば、成功や競争に勝っていくことの陰にある「努力」や「智慧」の大切さを強調したうえで、赤字をつくってばかりいるような人、潰れるべくして潰れた企業などに対して、「智慧が足りない」と言い切っています。

 

ロックフェラーは、母の言いつけを守り、生涯十分の一献金を続けたと言われています。そして、教会では常に一番前の席に座る、敬虔なクリスチャンであった。

 

ロックフェラーは、一代で世紀の大富豪となり、財団を創り、社会に対して多大な貢献をし、1937年、97歳で帰天した。

 

ロックフェラーの名言

  1. 事業は、自分のためより、人のためにすることで出発せよ。
  2. 事業の成功には奇跡はない。永遠の成功は自分を信ずることだ。
  3. 私は災難が起こるたびに、これを良い機会(チャンス)に変えようと努力し続けてきた。
  4. 10セントを大切にしない心が、君をボーイのままにしているんだよ。
  5. もしあなたが成功したいなら、踏みならされ受け入れられた成功の道を行くのではなく、新たな道を切り開きなさい。
  6. いかなる種類の成功にとっても、粘り強さほど大切なものはない。粘り強ささえあれば、ほぼ何でも乗り越えることができる。

 

母の教え 十カ条
 1..実の親以上に、神様に仕えなさい。
 2..神様の次に、牧師に仕えなさい。
 3.右のポケットには、常に十分の一献金を用意していなさい。
 4.誰であっても、敵はつくらない。
 5.礼拝をささげる時には、いつも一番前の席に座りなさい。
 6.朝は、いつもその日の目標を立て、神様の御前で祈りを奉げなさい。
 7.寝る前には、必ず一日を悔い改める祈りを奉げなさい。
 8.他人を助ける力がある時は、精一杯助けなさい。
 9.日曜日の礼拝は必ず、所属している教会で奉げなさい。
10.朝、目覚めた時に、まず神様の御言葉を読みなさい。


世紀の大富豪で鉄鋼王 アンドリュー・カーネギー

カーネギー

アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie,1835年11月25日 -1919年8月11日)は、スコットランド生まれのアメリカの実業家。紡績工場や電報の配達、電信技士など、色々な経験をしながら、最終的にカーネギー鉄鋼会社を創業し、成功を収めて「鉄鋼王」と称された。立志伝中の人物であり、ジョン・ロックフェラーに次ぐ史上2番目の富豪とされる。事業で成功を収めた後、教育や文化の分野へ多くの寄付を行ったことから、今日でも慈善活動家としてよく知られている。

 

「富の福音」・・・65歳ぐらいに書いた書籍
ある程度、実業家として成功し、「第一線を退こう」と決意したころに、「事業の成功について、自分なりの考えをまとめ、富の創出の方法を、あとに続く人たちに教えたい」と考え、それで『富の福音』を執筆した。

 

カーネギーは、「人間が神に対して行うことのできる最高の奉仕とは、他人を助けることである」という信仰観を持っていました。そのためか、カーネギー自らの成功やカーネギーの知人である著名な成功者の「成功哲学」の体系化を、まだ若いナポレオン・ヒルに託したことでも知られている。

 

カーネギーは、巨大な富を築いたが、本当の財産は、成功の法則である「成功哲学」だと断言してる。
成功哲学として大切なキーワードは、

 

明確な目標設定
具体的な計画立案
積極的な心構え

 

である。

 

そして、計画を実行に移すには、協力者を募り、「マスター・マインド」を構築することが大事である。

 

富に対する考え方
富というものには、結果的には必ず「弱者」や「貧困」でチャンスを得ていない人を助ける効果がある。その意味では「キリストの福音」の代わりになるところがあるという。

 

また、イエスの言葉に「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」というものがあり、金持ちは天国に入れないと一般的に理解されてきた。

 

これに対しカーネギーは、事業を成功させ、巨万の富を築くことを肯定し、その富の効用を語る一方で、集積された富を、最後、あの世に持って還ってはならない、この世にいる間に、よいかたちで使い、多くの人たちにそれを分け与えていきなさいという見解を持っていたらしい。

 

仏教では「人間の本質は心であり、あの世に持って還れるものは心しかない。お金や名誉や地位などは持って還れない」と説かれており、カーネギーの見解はこの仏教の教えにも合致していると思われる。

 

富の使い方
カーネギーは、金を儲けることのできた人が、使い道を自分で考える。これが一番合理的だという考え方だ。「自分で金を儲けていない人が、それを使い、ばら撒く」ということをやると、無駄な金がいっぱい発生する。
福祉のためといいつつ、国家が税金でお金を集めばら撒くことを戒めた言葉である。

 

人を使って成果を出す
カーネギーの墓碑銘には、「自分より優れたる者を使いたる者、ここに眠る」という言葉が刻まれている。

 

資産の拡大にはお金や設備、不動産もあるが、人的資産を大きくすることが最も大事だと言いたいのだろう。

 

結局は、松下幸之助もそうですが、事業を大きくしていくためには「優秀な人を、どれだけ使えるか」ということ。いいかえれば、「彼らの才能を引き出せるかどうか」ということにかかっている。自らが天狗になって、才能ある人をつぶしてはいけない。

 

自分で決められないものには手を出すな!
カーネギーは、「自分の才覚によって成功・失敗を決められないものにかかわってはならないと注意喚起している。

 

まず、連帯保証人、手形の裏書きなどは厳禁!自分の自由にならない事業による失敗で、共倒れになるような危険を冒してはならない。成功する途中で、その信用を借りにすり寄ってくる人が必ず出てくるので、そのときに破滅する危険性は極めて高い。また、甘い話に乗ってはいけない。

 

多角化に対する警鐘
基本的には、一つの事業で大成功しなければ、巨富を築くことはできない。

 

「投資の法則」においては、現代的には、「分散するのがいい。リスクヘッジになる」言われている。
しかし、カーネギーは、重要なところ、本体のところにお金、即ち資産を集め、そこで注意深く運用することが容易であり大事だといいます。

 

カーネギー名言集

  • 成功するには、成功するまで決して諦めない。
  • すべての成功、すべての巨富は、まずアイデアから始まる。
  • チャンスに出会わない人間は一人もいない。それをチャンスにできなかっただけである。
  • 清貧の家に育った子供は、裕福な家庭の子たちと比べて、何物にもかえることができない尊い宝を与えられている。
  • 私は特別な人間ではない。しいて言えば普通の人よりちょっと努力しただけだ。
  • 私は長い一生のうちに、よい正直な仕事をしない会社が成功したのを見たことがない。
  • 裕福な人はその富を浪費するよりも、社会がより豊かになるために使うべきだ。

世紀の大富豪で自動車の育ての親 ヘンリー・フォード

フォード

ヘンリー・フォード(Henry Ford 、1863年7月30日- 1947年4月7日)は、アメリカ出身の企業家、自動車会社フォード・モーターの創設者である。カール・ベンツが自動車の産みの親であるなら、自動車の育ての親はヘンリー・フォードとなる。遺産のほとんどをフォード財団に遺し、慈善事業に貢献した。

 

フォードは、見習いの機械工から、エンジン技術者を経て一旦はエジソンの照明会社に入社している。

 

その後、自動車の製造に成功し、「一般大衆でも買える自動車をつくりたい」という夢を実現すべく、自動車会社「フォードモーター」を創業した。

 

フォードは、上述したように「従業員の給料でも自動車を買えるようにしたい」という念いから、T型フォードを開発し、黒色のみの一車種を大量生産してコストダウンを図り、安く販売できるようにした。まさに、信念と情熱の人であった。

 

フォード社は、大量生産のためにベルトコンベアを導入してフォード生産方式を打ち立てたことでも有名である。フォードは、工業製品の製造におけるライン生産方式による大量生産技術開発の後援者でもあった。
(これが、後にチャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」によって痛烈に風刺された)

 

フォードは、まず「考え」ありきで、「思いの先行性」が事業成功の鍵であるといっている。鳥のように“空を飛びたい”という強い思いから飛行機が生まれたように。

 

また、松下幸之助の「水道哲学」や「ダム経営」のように、「こうしたい!」という強い思いがまずなければならない。京セラの稲盛和夫さんも松下幸之助のこの経営思想を受け継いだ一人だといわれている。

 

フォードは、この「考え」によって、事業成功や自己実現へと至るプロセスを短縮することができると述べている。

 

また、金儲けのことばかり考えてはいけない、それは、行為の結果にすぎない。自分が達成したいこと、「目標」「狙い」「目的」のみを考えてくださいとも述べている。

 

フォード社は、こうして1920年代には市場シェア3分の2を抑えるまで急成長を遂げた。

 

しかし、その後の15年で市場シェアが5分の1にまで急落した。

 

このような危機をもたらした原因はなにか?ドラッカーは、「現代の経営」(上)で次のようにのべている。
「ヘンリー・フォードの失敗の根因は、10億ドル規模の巨大企業を経営管理者抜きにマネジメントしようとしたところにあった。即ち、フォードの独断的なワンマン経営と秘密警察的な人事管理だった」

 

この背景はこうだ。
フォード・モーターは、技術者のヘンリー・フォードが画期的な製造法を開発し、ジェームス・カズンズが営業面を支えていた時代に目覚ましく成長した。
実は、工員の二か月分の給料で自動車を買えるプランを考え出して、自動車の価格を大幅に下げ、工員の給料を二倍に上げたのはカズンズである。
ところが、「自分以外はすべて使用人」と考えていたワンマンオーナーのヘンリー・フォードは、カズンズが会社を乗っ取るのではないかと疑ってクビにしてしまった。
営業力を失ったフォード・モーターは、その後業績が悪化して、つぶれる寸前まで落ち込んでしまった。

 

フォード社の再建は、後を継いだ孫のヘンリー・フォード二世を待たなければならなかった。そして、フォード社再建の鍵は、皮肉にもそのマネジメント・チームの構築と組織化にあった。

 

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