「顧客の創造」こそが本来のマーケティング!
マーケティングとは?
1900年代以降のアメリカ経済ではマーケティングの黎明期といってよく、当時のマーケティングは、生産者側が主役で「工場が生産したものを販売すること」、すなわち、“どんどん作ってとにかく市場に流す”という考え方で、生産力よりも市場の拡大が大きい場合にのみ許された「生産志向」だった。
しかし、この生産者側主役も「生産志向」から「製品志向」に変遷し、さらには販売者側主役(販売志向:マーケットアウト)期を経て、今日では顧客側主役の「市場が必要とするものを生産すること」(顧客志向:マーケットイン)に変わってきた。
「顧客志向」の重要性を訴えた中に「マーケット近視眼」で知られるドイツ生まれのセオドア・レビットがいる。
レビットは「顧客は商品を買うのではない。その商品が提供するベネフィットを購入しているのだ」と主張。顧客は商品そのものを必要としてるのではなく、その商品によってもたらされる期待価値を得るために購入しているとして「顧客志向」という概念の重要性を広く知らしめた。(Wikipediaより)
また、マーケティングの大家といえばフィリップ・コトラー。コトラーは、「ドリルと穴」の喩え話で販売とマーケティングの違いについて次のように述べている。
お客さんが日曜大工で「木に穴を開けたい」と思い、お店にドリルを買いに行く。
お店側として、一生懸命ドリルの機能や性能の説明をする(販売志向)。
しかし、お客のニーズは「木に穴をあけること」なのです。
注)この喩え話は、レオ・マックギブナの言葉をコトラーやセオドア・レビットが各自の著書で引用。
ここでいうマーケティングとは、「お客さんの立場」で、「お客さんが何を求めているのか(お客様ニーズ)」(顧客志向)をキャッチすることです。
一般にマーケティングといっても、たいていの人は、市場調査・分析、販売促進(プロモーション)、新規顧客開拓、広告宣伝ぐらいの意味で使っている。
そして、どちらかというとまだまだ「販売志向」が強く出ているように思える。
- 始めに製品ありき
- 顧客満足よりも、自社の利益追求、数値的ノルマの達成が優先
- 売り込みの仕組みづくり
- 欺瞞的な販売トーク
これは、顧客のニーズに応えるのではなく、自社の製品を売り込む仕組みづくり、商品を営業力のみで顧客に買わせようとする考え方である。
それでは、アメリカや日本のマーケティング協会はどのように定義しているのか。
<全米マーケティング協会(AMA:2007年)>
Marketing is the activity, set of institutions, and processes for creating, communicating, delivering, and exchanging offerings that have value for customers, clients, partners, and society at large.
「マーケティングとは、顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり、一連の制度、そしてプロセスである。」
<日本マーケティング協会(JMA:1990年) >
「マーケティングとは、企業および他の組織 (1) がグローバルな視野 (2) に立ち、顧客 (3) との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合活動 (4) である。」
(1) 教育・医療・行政などの機関、団体を含む。
(2) 国内外の社会、文化、自然環境の重視。
(3) 一般消費者、取引先、関係する機関・個人、および地域住民を含む。
(4) 組織の内外に向けて総合・調整されたリサーチ・製品・価格・プロモーション
・流通、および顧客・環境関係などに関わる諸行動をいう。
ドラッカーのマーケティング論 - その1 -
ドラッカー曰く
企業の目的は、「顧客の創造」である。
企業にとって、利益の源泉は顧客である。
顧客を創造できなければ、事業は続かない。
この企業の目的である「顧客の創造」の中心的な役割を果たす機能が、マーケティングである。真のマーケティングは、顧客からスタートする。
従って、「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客に必要なものは何か。顧客の価値は何か。顧客はどのように買うか」……このように問いかけることによって、顧客が求めているものをキャッチしなければならない。これが、「ニーズの発見」や「ニーズの創造」に繋がっていく。
「顧客を創造」するには、「ニーズの発見」だけではなく、新たにニーズを創り出す「ニーズの創造」が大切だということです。
販売は、商品を売ることですが、マーケティングは「顧客の創造」につながる活動のすべてである。このように考えると、マーケティングは、企業にとってあまりにも基本的な活動であり、販売よりはるかに大きい活動であり、それは専門化されるべき活動ではなく、全事業に関わる活動である。
即ち、マーケティングによって絞り込まれた情報に基づいて、企画・開発など商品・サービスに関わる部門は勿論のこと、生産・流通・営業・人事など全組織が夫々、且つ連携して活動しなければならない。そして、それぞれの組織において市場(顧客・非顧客)の代弁者の機能をもつことが求められる。
また、消費者運動やクレームなども、単なるクレーム処理として扱うのではなく、マーケティングの視点で捉えなければならない。
マーケティングに対する関心と責任は、企業の全領域に浸透させることが不可欠である。
「孫子の兵法」から発達したドラッカーのマーケティング
マーケティングの中には「競争戦略」がある。いかにして競争相手に勝つか。ドラッカーが捉えるマーケティングは、現代版「孫子の兵法」、すなわち「勝つべくして勝つ」という「孫子の兵法」そのものだ。
- われわれの事業は何か
- 顧客は誰か
- 顧客はどこにいるか
- 顧客は何を買うか
- 顧客は何を価値と見るか
- 顧客の満たされていない欲求は何か
- 競争相手は誰(何)か
このように自らが置かれている環境の中で、多角的な視点で、わが社の「勝ちパターン」を見つけ出し、それをプロセスとして体系化し、具体的な組織レベルや行動レベルにまで落とし込んでいくことが本来のマーケティングある。
具体的に、どんな商品・サービスを提供するのか、いくらで販売すべきなのか、どんな見せ方・紹介の仕方をすべきなのか、どこで販売すれば良いのか、といったことにまで落とし込んでいかなければならない。
これらのことを体系立て、整理し、限られた経営資源で、効率良く市場に働きかけるには、どのすれば良いかなどの道筋(勝ち筋)を見出すことが必要である。
百戦百勝は善なるものに非ず
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり【謀攻篇】
最強の競争戦略は、戦わないことである
愚者は、俺がやればできると考える
賢者は、愚者でもできることをやる(凡事徹底)
ドラッカーのマーケティング論 - その2 -
ドラッカーは、マーケティングの理想は販売を不要にするこである。そして、マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、顧客に商品とサービスを自ら売れるようにすることであると述べている。
⇒銀座でアップル社の新商品が出たりすると、前の日から人の行列ができている。
ここには、アップル側のしたたかなマーケティング戦略がその背景にある。
顧客の心を鷲掴みにし、買いたくなるように仕向けること、これがドラッカーのいうマーケティングの本質である。ここで必要なことは、「顧客の立場」で「顧客が何を求めているのか」をキャッチし、それに合った商品やサービスを提供することです。さらに、製品発表の仕方やタイミングなどにも工夫が必要となってくる。
また、ドラッカーの問いに「顧客は何を買うか」、「顧客は何を価値と見るか」がある。
キャデラックは、名誉心や優越感、社会的ステータスという満足感を買って頂いているという発想から設計やデザインにさかのぼって開発している。
またネスレジャパンは、コーヒーそのものではなく、コーヒーを飲むひと時や団らんの提供という発想からネスカフェアンバサダーを開発している。
商品やサービスに100%満足している人はいない。
必ず、達成できていないニーズが存在している。
お客様は相対的価値で選んでいる。
しかも世の中は変化している。
一番変化しているのは顧客の周辺である。
顧客の内面にも変化が起こっている。
このように、顧客の求める満足感や価値観を見抜き逆照射して考えることが大事となる。しかし、社内にいるとこれが分からない。従って、企業が提供していると思っている価値と、顧客が現実に感じている価値が一致することは極めてまれである。
ここで重要なのは、「答えはお客様が知っている」ということである。
これがマーケティングの基本であり、出発点なのです。まさに、“顧客からスタートする”です。
以上のことから、ドラッカーの言うとおり、マーケティングは「顧客の創造」であり、企業の目的そのものであり、企業の存続に欠かせない機能であることが分かる。
顧客を選ばない会社は、顧客からも選ばれない
「顧客は誰か」…ドラッカーの問いである。
どの企業も、すべての市場で事業を行い、すべての顧客のニーズを満足させることはできない。顧客の満足度を高めるためにはターゲットの絞り込み、すなわちターゲットとする市場や顧客を明確にする必要がある。
ターゲットとする市場や顧客を設定するにあたって、必要なことは経営理念やミッションから絞り込まなければならない。
「われわれのミッションは何か?」
ミッションは、“何を行うべきか”とともに、“何を行うべきでないか”を規定する。企業としての成果を最大にするためには、自らがミッションとするものに徹底して的を絞らなければならない。経営資源の集中である。
その上で「われわれの顧客は誰か」を見極め、「顧客にとっての価値は何か」を明らかにしていく。これがマーケティングである。
顧客にとっての関心は、自分にとっての価値、欲求、現実である。現実の中に潜む欲求の種を探し出し、顧客ニーズに合った製品やサービスを生み出し、その顧客に価値を提供する。そのためには、顧客ターゲットを絞る必要がある。
経営コンサルタントの神田昌典は、著書「60分間・企業ダントツ化プロジェクト」で「顧客を選ぶ会社は、顧客に選ばれる。顧客を選ばない会社は、顧客にも選ばれない」と述べている。
なぜなら、顧客ターゲットを明確に設定しなければ、顧客ニーズにマッチした商品やサービスを企画できないし、何よりも顧客との感情的な繋がりができないからである。
顧客ターゲットの設定(明確化:選択と集中)手順は以下の通り。
まず、付き合いたくない客から明確にする。
次に、付き合いたい客を明確にする。
この場合、論理ではなく、感情面から顧客ターゲットを見出す。
神田氏によると、「顧客を魅了できる会社になるためには、自社にとって必要のない顧客を捨てることから始めなければならない」という。
例えば、女性ファッション誌はそれぞれ、読者ターゲットを明確に定めている。読者の年代や独身か既婚かといったライフスタイルの違いに合わせて、記事の内容は勿論、そこで紹介する洋服や生活雑貨なども決めている。
ここでよく注意しなければならないことがある。受け入れて欲しい顧客を想定して販売した商品が、実際にはそれ以外の顧客の方に多く受け入れられてしまうことがよくある。例えば、若者をターゲットとして販売した商品が、実際には想定した年齢層よりも、かなり高い年齢層に受け入れられてしまうというようなことである。
これについて、日産のカルロス・ゴーンはこう語っている。
「私は車のデザインをする際に、必ずターゲットを決めます。その際には年齢、所得、家族構成、その人の嗜好等を考えていきます。そうすることによって、企業としての行動に一貫性を持たせることができるのです。
そして、大事なポイントですが、ターゲットを絞りこんだからといってその人々だけしか対象としないということではありません。
例えば、若者向けに開発した車を、実際には想定したより高い年齢層が購入していることがよくあります。理由はいたって簡単です。誰もが若い気持ちでいたいからです。だからといって、中高年以上を対象に若そうなものを作ったりはしません。
狙ったターゲットよりも高齢の人が6割以上を占めると分っていても、『これは若者向けです』といって一貫性を持たせるのです。
そこに成功のカギが隠されているのです。」
日経流通新聞2003.2.27より
企業として理解しておかなければならないことは、「顧客の側から、こんな製品、こんなイメージ、こんな値段と言ってくることはない」ということである。企業自身が顧客から情報を集め、様々な試行錯誤を繰りかえし、提案を続ける中で、企業は顧客に「選ばれる」ように努力していかなければならない。
選ばれ、受け入れられるようにするための方法を考えていく。それがマーケティングそのものである。
マーケティングで必要な「知覚」
前述の「顧客志向」の重要性を訴えたセオドア・レビットは、「顧客は商品そのものを必要としてるのではなく、その商品によってもたらされる期待価値を得るために購入している」と述べている。
ドラッカーも「顧客は何を買っているか」、「顧客にとっての価値は何か」の問いを発している。
今日のように様々な情報が溢れたご時世であっても、重要なのは顧客の心の内の直接的な声である。この声は通り一遍の市場調査では出てこない。顧客(カスタマー)や非顧客(ノンカスタマー)に直接聞くしかない。
分析から知覚へ
ドラッカーは、自らを「知覚の人間である。見る人間である」といっている。
そして、『新しい現実』の中で次のように述べている。
コミュニケーションが成り立つには、情報と意味の二つが必要である。理解できなければ情報はあっても意味は存在しない。解釈の能力が必要である。情報は分析的・概念的であるが、意味は知覚的である。
また、『すでに起こった未来』で、知覚の大切さについて次の事例をあげている。
仏教、回教、ユダヤ教などさまざまな宗教の神秘論者たちが昔から問うてきた難問がある。「無人の森で木が倒れたとき、音は存在するや」
これに対する正解は「否」である。音波は存在する。しかし、その音波を知覚する者がいなければ音は存在しない。
知覚とは、動物が外界からの刺激を感覚として自覚し、刺激の種類を意味づけすること、「思慮分別をもって知ること」である。
価値も多様化している。市場では顧客・非顧客は様々な声なき声を発している。その顧客・非顧客の心の内(声)は直接本人から聞き出し、知覚する以外にない。顧客自身も気付いていないことさえある。
理性万能主義からの脱却
表面上のデータからの判断、常識からの判断、理論上からの判断から脱却しなければならない。理性を万能と思うとことが大きな誤りである。理性や常識で判断すると、レッドオーシャンに繋がる。
これに対して、知覚…直接触れる、直接見る、直接聞く、直感する。人間の理性は幅が狭い。理性の外に多くの真実がある。認識の外に出よ。常識の外に出よ。理論の外に出て知覚せよ。知覚から導かれる判断は、ブルーオーシャンに繋がる。
大半の会社の社内には常識と理論しかない。だからノンカスタマーの声を聴くことによって、はじめて知る真実は相当ある。
これを「予期せぬ発見」という。予期せぬ発見とは、特別なことではなく、認識していなかっただけのこと。その事実はすでに最初から存在していた。認識の外にあっただけ。人間は認識の外にあるものはあたかも存在しないかのように扱う。
世の中は常に変化していて、理論とのずれが常にある。これは知覚でしかわからない。その変化の中で本物になる変化のことを“すでに起こった未来”という。
ジャック・ウェルチがGEのCEOを引き継いだ時、マネージャたちに説いた一説。
現実を直視せよ。世界をありのままに見よ。こうあって欲しいという目で見てはいけない。
多くのマネージャたちが、自分の好む解決策を正当化するために分析を用いる傾向がある。
「一般解答」から「特殊解答」へ
世の中は変化している。顧客が求めるものも変化している。
社内にいると、この変化は分らない。現場に行って顧客対象者に直接聞き、自分の感覚で知覚するようにしないといけない。
「答えはお客様が知っている」
しかし、人間は知覚能力の範囲内でしか知覚できない。そして、知覚したいと思うものを知覚する。見たいと思うものを見、聞きたいと思うものを聞く。
よく企業では「顧客に聞く」、「耳を傾けよ」といった言葉を使うことが多い。
たとえば、「答えはお客様が知っている」…だから「顧客に聞け」といっても、「答えはお客様が知っている」…だから顧客の声に「耳を傾けよ」といっても、企業側の立場でいくら顧客の声に耳を傾けても知覚できない。本当の答えは解らない。解らないか、あるいは極解するだけである。
顧客の立場に立って、同じ方向、同じ視点で、同じ感性や価値観をもって耳を傾けなければ知覚できない。本当の答えは解らない。本当の答えは得られない。
特殊解答を探せ
通常、常識は間違っていると断定することはできない。一般には常識通りの結果が出る。しかし、理論とか通念を超えて知覚の世界に入ると、その時その時の特殊事情が見えてくる。一般解答ではなくて、その事例における特殊解答を得ることができる。
知覚の世界に入るには、顧客を訪問し、聞いたり感じたりする。ここで注意しなければならない観点は“Create customers”ではなく、“Create a customer”である。
個々の顧客で一般論はあり得ない。“一般的な顧客”なる者はいない。
使い方が分からなくて不便でおっくう…一人の顧客から特殊事情を聴く。その特殊事情がどれだけの普遍性があるか。人々の見えない底流に流れている潜在的なニーズ、クレームは一人の顧客が流した小さな泉になって教えてくれる。それを見逃してはならない。一般論では絶対に分からない。だから、“Create a customer”。一人の顧客にスポットを当てる。小さな泉を見つけ、その底流を検索する。そして特殊解答を見つけ出す。
とにかく知覚で、その奥に流れる水脈を見つけ出す、特殊解を見つけ出す。それに基づいて舵を切る、即ちイノベーションする。
ここで、言い古されたマーケティングの小話がある。
ある国に靴を売りに入った話です。
セールスマンAは、次のように本社に報告した。
「この国では靴は売れません。この国では靴を履いている人がいません!」
セールスマンBは、次のように本社に報告した。
「大至急、靴を大量に送ってくれ。この国ではまだ靴を履いている人がいないんだ!」
問題はここから。一見、セールスマンBが正解のように思えますが、そのメーカーの持っている汎用品の靴はたぶん売れません。
まず、部族長を訪ねて、「足にけがをして働けない(狩りにいけない)人」を紹介してもらう。そこで、足に怪我をしていても働ける靴を用意し試してもらう(特殊解)。さらに、普段使いで怪我しないよう足を護る靴を開発する(普遍性のある特殊解)。
この普遍性のある特殊解が「顧客の創造」につながる。
社会通念において一般解答を求めるうちは、一切の常識は崩せない。しかし、知覚を経て特殊事情が分かると特殊解答を得ることができる。そうすると常識が崩れる。その会社のみが常識を崩すことができる。こうやると企業は大きくなることが可能となってくる。これが知覚の持つ大きなパワー。常識を崩すということは、知覚の世界において、その時限りの特殊事情がある。それを見つけ、特殊解答が見つかったときに、確実にその会社のみが飛躍することができる。