スーパーマン経営からの脱却 ― ドラッカーのマネジメント論 ―

ドラッカーの経営論は、社長のスーパーマン経営から中企業・大企業に入っていくための経営論である。その特徴は、天才でなくとも組織運営ができる仕組みづくり。

 

ドラッカーは、自らを社会生態学者と捉えていた。地政学や人間学を深く探究し、ある答えを得た。それは、“一人の天才による経営には限界がある”ということ。

 

ここ3000年くらいの人類の歴史は天才に導かれた歴史であったといえる。偉大な国王、将軍、…しかし、天才は最後に限界が来て滅びる。多くの天才の研究をした方、それがドラッカー。特にヒットラー政権の誕生から敗北を実際に観察し、独裁者や天才による経営に限界を読み取ったと思われる。

 

天才一人では経営的には限界があり、ましてや死ぬとほとんど滅ぶ。天才には継続性がない。ドラッカーは、これに対して継続性を持たせ、能力を引き継ぐために、凡人でも同等以上の成果を出せるよう天才を平凡なパーツに分解し、体系化した。

 

ビジネスの世界では天才を目指す必要はない。アンドリュー・カーネギーも、ビジネスの天才に変わるものがマネジメントであると言っている。マネジメント理論は天才不要論。これが、ドラッカーのマネジメントに関する根本的考え方である。

 

ドラッカーがやったのは天才指導者を平凡なパーツに分解し、体系化した。そして、出来上がったものが経営学の体系である。ドラッカーがやったのは「孫子の兵法」と同じように、一人の天才を平凡なパーツに分解・体系化という手法を取った。

 

具体的には、客観的にかつ論理的に仕事をいくつかの要素に分解(平凡な作業(パーツ)に分解)し、それを一つのプロセスとして統合(体系化)する。そしてそれぞれのパーツに強みを持つ人材を充てる(適材適所)。これをプロセスとして管理する。

 

彼が言いたいことは、平凡な人、ちょっと上の秀才の人、この人たちを組み合わせることによって、天才がいるのと同じ成果を出せる。非凡な成果を出せる。これが彼のマネジメントの胆のところ。

 

「あらゆる非凡は平凡の組み合わせに置き換えることができる」、「あらゆる非凡は平凡の組み合わせによって生じる」…これが組織論である。

 

なぜ平凡なパーツの組合せで非凡・天才が出るか …天才の本質は結合にある。平凡な人が個々に持つ強みの組み合わせから生まれる。それが、組み合わせから生まれるシナジー(相乗)効果というものである。

 

シナジー(相乗)効果を生み出すための秘訣は次の3点。

  1. 自分をよく知ること、強みと弱み、ワークスタイル、価値観を知ること。
  2. 共に働く人の強み弱み、ワークスタイル、価値観を相互に理解すること。
  3. 相手をよく理解したのち、お互いに活用し合うこと。自分の仕事は、他人に利用されて初めて成果に結びつく。

2番目の相互理解こそ、ただの総和を相乗効果に変えるキーポイントである。そのためにお互いのコミュニケーションが重要である。

 

ドラッカーの経営論を端的に表現するならば、「個々人の強みを活かして組織としての体制をつくり、且つ、教育・訓練のシステムをつくれ」ということになります。これは、一言でいうと、競争社会において「勝つべくして勝つ組織づくり」ということになります。まさに現代版「孫子の兵法」です。

 

ドラッカーの代表的著書
1946年、GMのマネジメントについての調査研究から生れたのが『企業とは何か』である。ここでは主に分権制を説いているが、同時に企業が社会の代表的な組織であると気付いた。
その後、シアーズ・ローバックやGEなどの調査からマネジメントについて組織的、体系的にまとめたものが『現代の経営』である。この時に、労働者が知識労働者に変化していたことに気付く。だからこそ、天才指導者を平凡なパーツに分解し、体系化した。本書を発展さたもの、経営戦略に関する世界初の著書『創造する経営者』、エグゼクティブとしての自らのマネジメントについて説いた『経営者の条件』である。また、エグゼクティブの体系的入門書、大学の教科書としてまとめたものが『マネジメント』である。

マネジメントの本質

企業とは、経済的機能を持つ社会的組織であり、その組織構造は、一人ひとりの人間から構成される人間組織である。その構成する個人の価値と願望を組織のエネルギーと成果に転換させること、即ち、自らの組織に成果を上げさせることこそマネジメントの仕事である。

 

その結果、社会と経済の発展をもたらすものこそがマネジメントの力である。

 

 

ドラッカーによると、マネジメントの仕事には三つの機能があるという。

  1. 事業をマネジメントすること
  2. 経営管理者をマネジメントすること
  3. 人と仕事をマネジメントすること
事業をマネジメントする

事業のマネジメントは、勘や才能で行うものではない。
マネジメントの仕事は、体系的に分析し、分類することが可能である。マネジメントを構成する諸々の要素は、平凡なパーツに分類し、体系的に組織することによって、普通の人間ならば誰でも学習することができる。

 

マネジメントは、経済の変化に対して、迅速かつ知的、合理的に適応することは勿論、その経済の中にあって、変化を計画し、その実現の先頭に立ち、担い手となる責任がある。そして、企業活動の自由に対する制約を除去する責任がある。

 

マネジメントには新しい経済をつくる責任がある。そして、マネジメントを評価する基準は、事業上の成果のみである。

 

これがマネジメントに特有の仕事である。

 

経営管理者をマネジメントする

経済的な成果をあげるために企業は存在する。したがって、マネジメントの第二の機能は、人的資源を使って生産的な企業をつくることである。具体的には、経営管理者をマネジメントすることである。

 

企業とは、その構成要素である資源の総計に勝る、より優れたものを産出すべき存在である。かつ投入(インプット)されたものよりも多くのものを産出(アウトプット)することのできる生きた存在である。

 

資源の中でも成長可能な資源は人的資源だけである。われわれが利用できる資源のうち、成長と発展を期待できるものは人だけである。

 

特に、経営管理者は、企業にとって最も高価な資源である。経営管理者への投資は、いかなる資源への投資よりも大きい。その投資を十分に活用することが最も重要である。経営管理者をマネジメントすることは、資源を生かすことであり、企業を作ることである。

 

人と仕事をマネジメントする

企業は、仕事によって経済的成果をあげなければならない。そのためには、技術者、営業、事務、工員、経営管理者などあらゆる種類の人たちを組織しなければならない。そこで、人に最も適するように仕事を組織し、最も生産的かつ効率的に仕事ができるように人を組織することが必要となる。

 

即ち、まず仕事の環境を整え、無駄をなくし、生産性を高める仕組みをつくり、いつ誰がやっても同じ結果を再現できる状態にした(仕事のマネジメント)うえで、個々人の強みを生かし、かつ弱みを払拭し、相乗効果を生み出すよう組織する(人のマネジメント)ことが求められる。

 

大事なのは、使命→成果→目標→貢献と続く一連の「なすべきこと」と、一人ひとりの強みをベースとした「できること」をいかに一致させるかである。なぜなら、この「なすべきこと」と「できること」の重なり合ったところで成果が生まれるからである。

 

これが、人と仕事のマネジメントである。

マネジメントの主な仕事

前のページで、「使命→成果→目標→貢献と続く一連の「なすべきこと」と、一人ひとりの強みをベースとした「できること」の重なり合ったところで成果が生まれる」、と述べた。

 

このとことから、マネジメントの主な仕事として、次のことを行う必要がある。

  1. 方向付けを行う
  2. ミッションを決める
  3. 目標を設定する
  4. 資源を動員する
方向付けを行う

企業に方向性を持たせ、成果をあげさせるためには“理念”なり“目標”なりが必要となる。それが「経営理念」である。経営理念というのは、「わが社はどの方向に向かっていくのか」、「わが社は何のために存在しているか」、さらには「わが社の行動原理」などを規定したものである。

 

このように経営理念は、企業に存在意義と方向性を与え、経営に関わるあらゆる戦略、判断、行動などの基準となるべきものである。

 

この経営理念を企業文化として、組織の隅々にまで浸透させる仕組みを策定・維持しなければならない。この企業文化が健全に維持・存続できていれば、その企業文化を引き継いだ人たちが時代時代に合った商品やサービスを次々と生み出していくことができる。

 

このように、経営理念を維持し、企業文化を維持することが、マネジメントの第一の仕事である。

 

ミッションを決める

マネジメントの次の大事な仕事は、ミッションを定めることである。

 

ドラッカー曰く、組織はすべて、人と社会をより良いものにするために存在する。ゆえに、組織にはミッション…すなわち、目的があり、存在理由がある。

 

従って、常に「われわれのミッションは何か」を問わなければならない。そして答えなければならない。「われわれの顧客は誰か」を見極め、「顧客の価値」、「我々にとっての成果」を明らかにしていかなければならない。

 

ミッションは、何を行うべきかとともに、何を行うべきでないかを規定するものとなる。成果を最大にするためには、自らがミッションとするものに徹底して的を絞らなければならない(資源の集中)。

 

目標を設定する

目標とは、いわゆる経営目標である。

 

この目標は、「われわれにとっての成果は何か」を明らかにしてから設定する。成果を明らかにしないままの目標設定は、的がないのに弓を引く行為で無謀である。

 

組織にとっての成果には、次の三つの領域が必要である。

  1. 直接の成果…売上高、利益額、顧客数など
  2. 価値への取り組み…顧客価値、組織の価値観
  3. 人材育成…自らの自己啓発と他人の自己啓発の支援

これら三つの領域の成果の姿を明確にしてから目標設定を行う。また、価値への取り組みは、顧客満足や従業員満足に結びつくもの。

 

目標を設定するにあたって大事なことはバランスである。部分最適の総和が全体最適にならない。全体として最適、最高度になるための各部門間のバランスをいかにとるか、ということがマネジメントの仕事になってくる。

 

一部が突出してはいけない。売上は上ったがイノベーションは進まなかった。生産量は上がったが、費用がかさんで利益は下がった。これではトータルの生産性は下がる。

 

したがって、全体最適は何か…全体最適をつくるための今年度のやるべき、利益目標、売上目標、イノベーションの目標、マーケット目標を全部掲げたうえで、数値においてはバランスをとって、全体最適を考えるということがマネジメントの仕事である。

 

特に、現在と未来のマネジメントとして、短期目標・中期目標と利益目標のバランスが大事である。長期的な利益や企業の存続を犠牲にして目前の利益をあげたとしても成果をあげたことにはならない。逆に、壮大な未来のために今期災いを招くようなリスクを冒す意思決定は無責任である。

 

これは非常に難しい問題である。一時は経験者に尋ねてもよいが、最終的には自ら経験してノウハウを積み重ねるしかない。

 

資源を動員する

企業は、顧客の創造という目的を果たすため、経済的成果をあげるために資源を利用する。そして、定めた目標に応じて資源を動員する。

 

資源を動員するにあたって、その資源を生産的に利用することが求められる。そして、資源の中で、最も重要なのは人的資源である。

 

この場合、「なすべきこと」と「できること」をできるだけ一致させるように、最も重要な資源である人に最も適するように仕事を組み立てることである。また、最も生産的かつ効率的に仕事ができるように人を組織することである。人の強みと仕事を最適にマッチングさせ、最も相乗効果が発揮できる組織づくりが大事である。

生産性のマネジメント

ドラッカーは、「生産性とは、最小の努力で最大の成果を得るための生産要素間のバランスのことである」と述べている。そして、「生産性の向上とは“資源の有効利用”」と述べている。同時に、「生産性のコンセプトは、働く者一人当たり、あるいは労働時間一時間当たりの生産量なるコンセプトは異なる」とも述べている。

 

これは、旧来の伝統的な生産性の尺度、すなわち、肉体労働による生産性向上とは違うということである。

 

しかしながら、未だに多くの経営者は、生産性向上というと「テイラーの科学的管理法」を代表とする科学的管理手法によって進めようとする。しかし、このような科学的管理手法は生産性要因のうちの一つである肉体労働にだけ着目したものである。

 

今日の人的資源は肉体労働者ではなく知識労働者となっている。工場においてさえももはや工員を知識労働者として扱わなければならない。

 

本当の意味で生産性の向上を期待できるのは、この人的資源である。個々人の人間にいかに成果をあげさせるか、いかにその能力を伸ばすかを考えることが大事となる。

 

まさに人と仕事のマネジメントが真価を問われるところでもある。まさに、生産性こそがマネジメントの腕の見せ所、マネジメントで優劣がつくところである。

 

そこで、原点に返って生産性について考えてみる必要がある。そのためには、「成果とは何か」「貢献とは何か」という問いに対する答えが必要となる。

 

まず、「われわれにとっての成果とは何か」を問わなければ「貢献とは何か」「生産性生とは何か」定義することはできない。

 

しかしその前に、下記項目について明確にしなければならない。

  1. 「われわれのミッションは何か」
  2. 「われわれの顧客は誰か」
  3. 「顧客にとっての価値は何か」

そして、成果の目標を定め、それを計画する段階で部や課にブレークダウンしていく。
「部や課にとっての成果は何か」や「部や課や個人にとっての貢献とは何か」を明確にした後、ようやく部や課に所属する個々人の活動が定義され、生産性とは何か理解できるようになる。

 

人間はどんなに強制しても、心のコントロールはできない。従って、指示・命令ではなく、理解を求めることが大事となる。そこで重要なのは、コミュニケーションである。

 

この方向付けが徹底されないまま進めていくと、本来の力を出し切れず、本人にとっても組織にとっても不本意な結果を招くことになる。生産性が落ちる。期待した成果をあげることができない。

 

ドラッカー曰く、マネジメントには、仕事を生産的なものとし、人に成果をあげさせる役割がある。「売れない製品の設計図を迅速かつ大量に、しかも見事な出来栄えで書く設計部門ほど意味のない存在はない」

 

生産性を高めるための問いは、外への価値あるアウトプットを考えるところから始める。「顧客の価値は何か」、「われわれの成果は何か」、「われわれの貢献は何か」を問わなければならない。また、経営資源が有効かつ効率的に活用されているかを問わなければならない。

 

答えが、一つの事業、商品、サービスを止めることかもしれない。資源の集中・有効活用かもしれない。仕事のプロセスの変更が答えかもしれない。もし答えが、個々の作業の時間短縮ならば、従来の科学的管理手法でよい。

 

大切なことは、生産性は単なる積み上げ式ではないということ。使命→成果→目標→貢献と外の成果を考えるところから始める。そして、この目標を達成するために必要な生産性が決まる。そして、この生産性を実現するための仕組みを構築しなければならない。

 

特に、経営トップの生産性が最も企業の成果に影響を与える。
ドラッカー曰く、「経営トップの仕事が何であるべきかについて徹底的な検討が必要である。経営トップはいかなる活動をなすべきか。いかなる活動を移譲すべきか。誰に移譲できるか。そして何よりもいかなる活動が重要か。そのためには、いかなる危機のもとにあろうともどれだけの時間を用意しておくべきかを検討する必要がある。」

 

「マーケティングに力を入れるべき時に、トップが自らの好みであるエンジニアリングに気を取られていたのでは、全体の生産性が低下する。その結果、一般従業員の労働時間当たりの生産高の低下などよりも深刻な事態を招くことになる。」

 

もし、エンジニアリングに徹するならば、本田宗一郎のように藤原武夫にトップマネジメントを託すべきである。

 

最後に、知識労働者に生産性を要求るのであれば、強みを発揮できる、成果のあげることができる部署に配置しなければならない。また、知識そのものも陳腐化する。従って、知識労働者に対して絶えざる継続学習を要求する。組織に対しても学び、教え合う組織(学習する組織)としなければならない。知識の結合が生産性向上の鍵となる。

目標管理のマネジメント

目標管理…一時期日本の企業、特に大企業に注目され、成果主義と組み合わせた形で目標管理制度が導入された。この達成度により、給与査定、賞与査定、昇給、昇任・昇格人事に利用された。目標管理制度という名を借りた上司による能力管理である。

 

これは、ドラッカーが唱える目標管理とは違う。目標管理は、自己管理によるマネジメントであり、本人が成長するためのツールとして使いこなすことが原則である。

 

目標管理は、各自が個別に目標設定して自主管理できる体制をつくることである。その利点は、支配によるマネジメントから、自己管理によるマネジメントに変えることである。

 

従って、目標がノルマになったり、上司が部下を管理するための数値ではない。部下が上司と相談して、自ら目標を設定して、自主管理するための仕組、というのがドラッカーの真意である。

 

そういった意味で、日本での目標管理は90%くらいは失敗している。目標管理における目標というものは必達すべきものではない。従業員を評価するのはその人の意欲であり、仕事ぶりであり、結果であり、他人への影響の総合力で判断しなければいけない。

 

だから目標は倍増目標を掲げてよい。ぎりぎりの背伸びしなければ達成できない目標を掲げてよい。本人がやる気を出して目標があることが本人の成長の材料になったり、目標を掲げることによって、本人の実力との乖離が出てきて、目標設定が誤っていたり、本人のどこの能力が低いかわかってくる。

 

目標管理によって、本人のやり方の弱点、長所が見えてきたりする。目標達成に向けて努力すのは当然であるが、必達で100%評価するわけではない。あくまで成長のためのツールとして使いこなすことが目標管理の本質である。

 

従業員が自らの仕事ぶりを管理するには、目標に照らして評価できなければならない。そのための情報が必要となる。その情報は自己管理のための道具であり、直接本人に開示されなければならない。